marhythm

Rhythm, Philosophy, Joy of seasons

同い年の君へ

前回のポストの通り、生き延びることを許された私はあれからより一層、一日一日を大切に生きています。

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今年ほど歳を取ることを幸せに感じた誕生日はなかった。大いに生を満喫した6月も終わり、来て欲しくなかった「中野サンプラザ最終営業の日」がやってきた。中野区出身者だから隣の区役所のほうが引越しやら出国やら結婚やら離婚やら入国やらで入場回数は多かったけど、ここで執り行われた成人式はバックレてバイトに勤しんでたけど、それなりにこの三角の建物には思い出がある。

 

なんせ同い年の同じ月生まれ。出生届を出して区役所を出た父は、出来たてほやほやのサンプラザを見上げたんだろうと想像する。

 

子供時代、朝昼晩ベランダから見えるいつもの風景にサンプラザはあった。向こうに新しく都庁ができたりして忘れられない眺めだ。

 

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父と弟とよく自転車に乗って、サンプラザ地下のプールに行った。

 

サンプラザは実家きら自転車で20分ほど。そこそこの距離だけど歩いて帰ったことがある。

『PRISMIC』を出した頃のYUKIのライブ。お酒も飲んでないのに、多幸感を撒き散らしながら泳ぐように早稲田通りを帰った。

 

サンプラザのステージに立ったこともあった。ヤマハ音楽教室の発表会。合奏で何人かいる鍵盤楽器担当のうちの1人だったけど、数年後同じ仕切りで弟がティンパニーを担当。かなりのステージ映えをみせつけられ、やられたと思った。

 

友達がやっていたバンドの解散ライブに招待してもらったこともあった。世田谷の飲み屋にいつもいる顔ぶれがサンプラザの2階席に一緒にいることがなんだか不思議で楽しかった。解散ライブではあったのだけど。

 

奇しくも最後の年に入院で数週間、ご近所で寝起きすることになった。目覚めてしまった早すぎる朝に、真横から朝陽を浴びるサンプラザはダイナミックで美しかった。

 

最後の日に向かう一連のイベントとはなんだか距離を感じで全く参加しなかったし最終日など言わずもがなだったけど、

営業最終日翌日の夜、ウォーキングの足を延ばして行ってみたら、私とスタンスを同じくするような同士がチラホラ。

カリヨン時計の麓に座ると、湿気を飛ばす夜風が吹いた。頬を撫でる風だけはあの頃のプールの帰りと変わらなかった。

 

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意識障害、緊急搬送、走馬灯

(先に書いておきますが、入院中時間をかけて隈なく検査いただき出た診断名は「自己免疫介在性脳炎」でした。この病気は重篤なものから軽度のものまで様々あり、当初意識障害がひどく重篤だったにもかかわらず周囲も驚く回復で寛解することができました。入院先の主治医をはじめ、入院前にお世話になった病院やクリニックなど、ご尽力いただいた医療職の皆様には心から御礼を申し上げます。)

 

 

4/1  エイプリル・フール

親友のYと代官山で夕ご飯まで過ごす。さっきまで元気に飛び跳ねていたのだが、いつものような食欲がない。少し前から気になっている、お腹の張りもMAXな感じ。帰宅のゆるやかな坂を上るのにもお腹を押さえながらでないとしんどい。

夜中に下腹が痛くて目が覚める。胃腸系ではなく、何となく婦人科系のような。先々週ホルモンチェックのオマケに受けた子宮体がん検査のことが気になる。とにかく眠れないし不穏なので#7119に連絡し、夜間対応病院をリストアップ。自力でタクシーに乗り、エコーと触診で診察を受けるも見た限り消化器および骨盤内には緊急性のある異常はないとの判断。私が食い下がると研修医は先輩医師を呼んでくれたが、判断は同じだった。

先輩医師は「 お金もかかっちゃうし、一刻を争う症状でない限り、夜中に病院に来るものではない」的なことをやんわり言ってきたが、私にとっては人生初の、一刻を争うくらいに感じる痛さだったのである。モヤモヤしながらタクシーで帰宅すると夜中の3時だった。

 

4/2 助っ人来たるも暗雲

近所に住む母が朝来る。春先から毎週のように公園のカワセミを観に行っているので、今日もそのつもりで我が家に集合。しかしやっぱり調子が悪い。お腹が痛いだけじゃなく、歩くのがしんどい。頭も痛い。耳鳴りがする。昨晩寝れなかったせいかもしれないが。

今日になって不正出血も少しあったので、母に体調のことを打ち明ける。婦人科疾患を疑うしかない頭になり、先輩のアドバイスで翌日都心にある著名婦人科にいくことになった。

 

4/3 心配すぎてセカンドオピニオン

通勤ラッシュの中電車に乗れる体調ではないので、タクシーで著名婦人科へ。母がついてきてくれた。1人で行動するのが難しいくらい、フラフラなので正直助かる。

クリニックに着くと朝イチなのに30人くらい待っていて、診察を受けたのは14時過ぎ。

エコーと触診では既往症の子宮筋腫以外、所見なし。こんなにお腹痛いのに?!そこで、近所のクリニックで既に受けている体がん検査以外のあらゆる女性疾患についても調べてもらうべく、組織や血液を提出。生まれて初めてMRIも受ける。結果は2週間後。

 

4/4〜4/10  自宅で意識が飛びはじめる

横になったりならなかったりの中、意識がたびたび飛び始めるが、ハッと気づいて起きる(寝ようとしない)の繰り返しが数日続く。もはや自分に日付の感覚は無かった。

ある夜救急車で運ばれるも点滴を打たれ、タクシーで家に返される。

数日「命があぶない、寝たら死んでしまう」といって頑なに眠らない、食べないのが続き、いよいよこのままこれに付き合っていたら自分の身体が壊れてしまうと感じた母は、4/10の夕刻、改めて救急車を呼んだ。私は担架に乗りながら救急隊員の声かけに答えられず、ただ眼球が震えている感覚があった。

意識障害と発熱、脱水、呼吸不全といった症状で病院を探してもらった結果、総合内科のあるK病院へ搬送される。とにかく「このまま家に居ては命があぶない」という意識だけは強かったので母同様に私自身も入院できることでかなり安心したのを覚えている。

母は5日ぶりに自宅に帰った。

 

4/10〜4/29 入院そして退院

病院に着いてすぐにコロナの検査をし、点滴をし、バイタルデータを取ったあとCTやMRIの画像検査室っぽい所に入ったこと、その夜は地下の隔離個室で一泊したこと、横の部屋で夜中じゅう検査データを見るチームがいたこと、、などは微かに覚えているが、それ以外は、、正常な今振り返ると夢か幻覚か?文字にすると狂気のシーンばかりなのでここでは控えておく。相変わらず何かしらのスナイパーに命を狙われてる感覚はあった。これだけでも文章にしてみるとかなりやばい状態だね…

翌日から1週間の記憶は途切れ途切れで、週の終わりに病棟が変わったこと、同室のお爺さん2人のせん妄が煩さかったことくらいしか覚えていない。実際この期間は完全に意識障害で混沌としていたそうです。重症病棟だったのでしょう。

この頃、人生のおさらいをゆっくりとするような、走馬灯のような夢のようなものを、毎朝明け方に見た。

4人部屋にうつった2週目くらいから意識は戻り、毎朝の「今日は何月何日ですか」にも答えられるようになった。危険防止のベッドの柵も取れた。テレビカードもなくスマホもなく暇でしょうがなくて、身体に繋がれた心電計モニターを手持ち無沙汰にいじるしかなかった。

かつて仕事で心電計の取説を作っていたこともあったが、まさか40代でエンドユーザーの立場になるとは思いもしなかった。

外から選挙カーの音がする。選挙があるっぽい。

(期日前ができるわけもなく、人生初の選挙棄権、無念)

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そういえば、意識が戻ってからあんなに痛かったお腹がぜんぜん痛くない。いやな張りもない。

いつぶりかわからないけど、お風呂に入れるという。お風呂め鏡に映る身体はとても頼りなく細く、痩せていた。

入院時の様子がトラウマで若い看護婦さんは私と接する時に震えてる人もいて、お風呂に入れてくれた看護婦さんは同い年のベテランだった。「こんなことになっちゃって、、」とこぼし、私を憐れんでいる雰囲気が垣間見られた。だが、私はまだこれといった確定診断を告げられていないので何とも言えない気持ちに。彼女にこれまでの人生を聞かれ海外に住んでたこともあることを話すと、同じだけ生きてても自分は海外旅行にすら行ったことがないと驚かれた。

食事はゼリー食。それまでの栄養はずっと点滴だったようで、針をあちこち刺しすぎて腕は青い跡だらけ、まあグロテスク。

母がお見舞いに来れるようになり、毎日15時に顔を出した。体温が34度台とか、血圧が上100切ってるとか不安を吐露しまくって時間は終わる。

3週目にはスマホも持ってきてくれた。

病名がわからないので誰かと連絡を取る気にもならず、宮本とか田口のYouTubeを見ていた。

この時点でまだ検査は継続中で、はっきりとした病名は知らされていなかった。引き出しの中に、入院時の書類を見つけた。入院時の病名は肺塞栓症スマホ肺塞栓症を調べると末期がんの合併症である場合もあるらしい…

 

意識障害と妄言により脳内も色々調べられていて、引き出し書類の中には脊髄から取る髄液検査の承諾書もあり「意識障害のため医師が代筆」とある。そんか怖い検査してたの、全然気づかなかったよ。。

 

ともあれ入院までの腹痛の経緯からして、きっと手遅れの婦人科疾患だと私は勝手にアタリをつけ、医者は隠してるだけだと思っていたので、死んで預金が凍結される前に今のうちにおろすよう母に頼んだ。結局退院まで毎日、1日の限度額をコツコツ下ろしてくれていた母の気持ちを思うと忍びない。

もう長くないと思ったら、窓の外に見える慣れ親しんだ三角のランドマークを見るのもつらくなった。私と同い年のその建物は惜しまれながら今年無くなってしまうのであった。

 

翌週、また病棟を移った。看護チームのムード、フロア全体のリラックス感により、自分が少し快方に向かってるのかなと淡い期待を持つ。と同時にもはや手遅れで、とりあえず放置されてるような気もしていた。

リハビリを毎日淡々とこなした。自転車が全然漕げなくなっていたけれど、周りのお年寄りに比べるとダントツに歩けるのでリハビリの先生と外に散歩に行った。

エイプリルフールに一緒にいて、 自宅の意識混濁時にお見舞いに来てくれた友達、 GWの予定を約束していたのに、返事ができていない友達、それぞれに連絡を取ると、皆心配して
お見舞いに来てくれるそう。

それぞれ約束を取り付けた翌朝、 主治医の巡回で「GW前に退院してみる?」との言葉。突然すぎる。

ついでに主治医に、そろそろ病名を知りたいと伝える。この三週間色んな検査で、あらゆる可能性を消しこんだ結果、「自己免疫介在性脳炎」という病名だと告げられた。

ウイルス性でもなく傍腫瘍性でもないため、はっきりとしか原因もなく退院してから気をつけるべきは、規則正しい生活と栄養と運動。

至極当たり前のことでしか再発を防げないのは不安だが、命をとりとめ、退院まてできるのだから全てよしとしたい。

見舞いに来た母に明日退院と話すと、喜ぶとともに意外と早かったねと驚いていた。やはり長い入院を覚悟していたみたいだった。

 

GWはリハビリ的にゆっくり自宅で生活を戻し、食べたかったものを食べた。食欲の復活からは回復に加速がかかり、退院後の通院日には数値も全て良く、すっかり健康体に戻った。

 

ここ数年の緩やかな体調悪化は更年期だろうとたかをくくっていたけれど、身体の疲れが蓄積してたんだろう。

見ての通り丈夫だけが取り柄だと思っていたので40代を入院騒動で締めくくることになるとは思いもしなかったけれど、今まで以上に自分を大切に、会いたい人には会い、やりたいことは身体に無理が来ない程度にかろやかにどんどんやりたい。

 

有限な命を思い知るには十分な経験だった。

 

79歳の母には相当な負担をかけてしまったので、一生親孝行します。

食欲旺盛な夏の日記

大学院の授業の後、アフタートークもそこそこに、荻窪の友人宅に結婚祝いを届けに。題して「先輩が営む京都の米屋(八代目儀兵衛)厳選米5キロと、私の食人生から編み出された白ごはんにあうおかずセレクション」。
白ごはんをこよなく愛する嫁と、酒を飲む旦那なのでおかずはおつまみにもなるもの。好評でよかった。
その日は恒例の夏の自転車旅行の打ち合わせで他の友達2名が来るという話だったが、ここに来る前に見かけた、全面ガラス張りのとんかつ屋から目に飛び込んできたのは早いめの夕食を召し上がっている一人のお姉様。とても幸せそうにロースとんかつを食べる瞬間、そう、顔の前に花が咲くあの瞬間をワタシの眼は at a grinps of 捉えてしまったのである。
 
そもそも4人以上の集まりはどうかと思うし、大学院の宿題あるからお酒飲まないし、とんかつは揚げ物だからなるべく早い時間に食べたいし、、私の決断は固まっており、適当な理由をつけて15分ほどでお暇。嘘も方便とはこういう時に使うもの。
 
再び自転車にまたがり青梅街道を東に戻りお店にドロップイン。
近くに予約必至な有名店があったためこの店はノーマークだった。よくある街のご近所とんかつ屋さん。だからこその至高がありそうな気がしたし、期待はマックス。
 
ロースカツは見栄えがするのだけど、口はヒレカツを欲していた。美味しい。おまけに頼んだエビフライも美味しい。
同じくらい心が掴まれたのは、よく研がれた包丁でカットしたと思われるキャベツの千切り。ふかふかの山を崩しながら、ソースを少しずつ垂らしながらもしゃもしゃといただく。そっか、私はこれがしたかったのかもしれないと思いながら、ヒレカツも合わせ食べ、ただひたすら極私的欲求に従うこの世の至福を味わったのでした。
 
ハッピーな流れで、ご無沙汰していた20年来の馴染みのセレクトショップに寄り、さらに旧中杉を流して川名(焼鳥屋)で一杯やりたい気分だったが、ジェラードも食べたい気がしてシンチェリータへ。日が落ちると流石にあの行列は無く、自転車を停めすぐに注文できた。店内ベンチも空いていたので座って、ナッツの入った優しいジェラードで和む。届きたての果物が入った段ボール箱をバックに、写真も撮る。
身体はクールダウンされ、帰途自転車で切る風は清々しく、上々で帰宅。家に着くと汗は吹きだすものでシャワーを浴びた。Radikoをつけようとスマホを探すと、、、どこにも無い。。。
全てにバックアップを取るタイプの人間なので、自分が思うよりも自分がしっかりしていることの方が多く、スマホを紛失とか人生で初めてで、ショックを受けつつもいざという時の秘密兵器、会社のスマホで自分の番号にかけてみる。。…RRR すぐに女性が出た!
 
シンチェリータの店員さんだった。
平謝り。お店はもう閉めて、明日は昼前からの営業だという。この後スマホが必要なタスクを残してる私は、申し訳ないけども少し待ってもらいえないかお願いして待っていてもらうことになった。
髪も乾かしていないので、バンダナを巻いて。シンチェリータのバンダナを選ぶあたり、こんなに焦ってても自分のサービス精神は出せるんだなと思った。
 
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15周年記念のバンダナ
 
 
ふたたびの道をダッシュで戻るとお店の前に店員さんが。ひたすら感謝を述べ、再来店を約束して、去る。恥ずかしいのもあって足早に、。あんな短い時間、閉店後の暗さでも店員さんがバンダナに気づいてくれて良かった。
 
6丁目の交差点まで来て、こんな日は川名で飲みたくない?飲みたいよね?と自問自答して自転車の向きをくるっと戻しタイヤを滑らせた。
サワーと冷やしトマト、焼き鳥を思い浮かべながらの道行だったが、着いてみると閉店ガラガラの瞬間、、、
イメージしてたカウンターの見晴らしは、幻となった。

帰って大学院の宿題を粛々とやった。
 
小さな決断によって色んなことが起きるしウキウキもあれば思い通りにはいかないこともあるけど、まあ人生悪くないよねっていうのが凝縮されたような日でした。
 
 
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キャベツはソース、とんかつは塩で食べる派。
お会計で勢い買ってしまったアンデスソルト

3連休の日記

7月16日
連休の初っ端から仕事の話で何だが、早くも転職して1ヶ月となった。
外から見たら定年までいなくてどうするの?的な企業だったのかもしれないが、所詮それは他人の物差しである。私はこの8年なんとかここでできるやりたい企画を通し、比較的ましな部署に手を上げ、なんとか自分を騙しやり過ごしてきた日々だった。あと十数年もここで働くことが想像しがたく、入社5年も経つと卒業のチャンスを伺うようになり、コロナ禍でそれは限界に達していた。
渡り渡る度のキャリアアップと言えば聞こえはいいが、ここまで上がってしまった年齢と年収・ポジションに見合った次の落とし所をこのタイミングで見つけることは容易ではなく、心が折れ自分に折り合いをつけてそのまま会社に居続ける選択をする人のことも理解できた。
これまでの転職感覚が通用しない時代に、自分の奇特なキャリア特性を生かすにはアンコンシャスバイアスの塊のような転職業界を挟んでの活動ではむずいと感じ始めていた頃、素敵な友が縁を運んでくれて新しい旅への扉が開いた。
所謂リファラル採用というやつで、プロフェッショナルスキル重視の異業種転職。
過去わたしが一緒に働いた部下と上司からの推薦状の提出(かなり面倒でしたよね。ありがとうございました!)と3度のリモート面接を経て、媒介してくれた友人の、元先輩のチームに配属された。ザ広報という選択もあったのだけど、一生働くことを考えると社会課題(を少しでも)解決する(可能性のある)CSR寄りの仕事にシフトしたかったのでした。
 
余談だが広報PRでDとも同じくらい仕事してきたが、強いリレーションシップを築けるのは偶然なのか何なのかH勢ばかりである。今回縁をくれた友人もHに所属している。
Hの皆さん大好きです。
 
銀杏が落ちる秋の神楽坂、ロイヤルホストで渋皮栗のパフェを食べながら閉塞感の塊のような私から噴き出す、ほぼノイローゼのような愚痴を受け止めた上に縁を届けてくれた10歳下(たぶん?私は年齢に鈍感…)の友には感謝しかない。
(彼女とは3年前に深圳旅行で時をともにしたが、当時ホットだった深圳を知りたい閉塞感を打破したい、という私の内なる旅の目的を感じてくれてたのかも。この日記の下の方、9/7,8 あたり)

 

marhythm.hateblo.jp

 



そんなわけでこの1ヶ月は過去経験したどの会社よりもクレバーな皆さんに囲まれ必死のパッチでキャッチアップする日々でした。並行して卒業証明書やら資格の証憑をはじめとした公的書類の収集と提出、投資資産の整理とたまに物件探し、銀行面談、と嵐のように過ぎたひと月だった。
 
入社して程なく、会社の代表や役員の話を聞く機会があった。
代表「入社して36年たつが、今でも毎日、接する社員の優秀さに驚く」役員「このファームには、プロフェッショナルだからこそ持つ優しさがある。だが、厳しさもある。プロはプロしか助けないからだ」
痺れる〜 
僭越ながら早くも仕事をしながら痺れる瞬間がままあり、それは社内システムの徹底した効率化とか、(さっさと返すべき要件の)メール返信の速さとかまだ表面的な部分ではあるが、明らかにこれまでの組織とは違う雰囲気を感じている。8年の踊り場生活で残していた伸び代がうずうずしている。
英語のスキルアップに加え、来週からは大学院サマースクールも始まる。
 
話はこの話を持ってきてくれた友人の話に戻るが、彼女と知り合ったのは今はもう無いクラブでもう10年以上前のこと。返す返す、ああいった交流の場は尊い

「上手い人と一緒に演ると自分も上手くなったような感覚になって一段上のレベルに行ける」という言葉をある人から聞いたのもそのクラブでのことだった。
貴方が知っているその感覚、私も早く仕事で感じたい。
 
 
いかんこれは日記だった。連休初日の話を。
このWeekdayはプロフィール写真を撮るための都心への初出社もあり、湿気と暑さによる疲れで身体は炭酸泉を求めていた。せっかくなので普段行かないエリアを攻める。起き抜けそのまま山手線に乗り鶯谷。マスク社会の唯一のメリットははマスク一発、顔に関する支度が秒で済んですぐ歩き出せることだね。
 
ここの炭酸泉は少し前に有名になった塩谷さんによる銭湯イラストパネルが並んでいるんだけど、ほとんど行ったことがあって驚いた。彼女と銭湯の趣味が近いのだろうか? その中で唯一未踏の「ふくの湯」は夏のうちに行きたい。あの辺でいい物件が見つかりその内見のついでに行けたら最高。などと炭酸泡を纏いながらたのしい妄想タイム。
ふと我にかえると朝風呂タイムのリミット9時の5分前で、追い立てられるように銭湯を出た。7月から銭湯料金は500円。銭湯は贅沢な趣味になってしまったと平日朝のラジオで言ってました。
 
関係ないけど、「趣味が近い人」って近いようで遠いよね。親しい友人は決して「趣味が近い人」ばかりではないし。mixiのコミュニティで生まれるような趣味友達ってことか?
もっと関係ないけど、mixiで書いてた文章もう一回読んでみたいと最近思う。ログインできないので。ログインできる人私の文章読ませてください!アカウント名は「ジャスミンガール」大学講師をやりながら駐妻してたズッコケ上海ライフが詰まってて、オーガニックにフォロワーがいて会った事ない人とも沢山やりとりしていた。まだインターネットが平和だったし、自分自身文章を書くこと自体は仕事にしてなく、伸び伸び無邪気に楽しんでいた頃。あの日本人赴任者専用高級マンションから家出して帰国してなかったら、そのまま上海にい続けてたまに日本に帰ってフリーライターになって、出版とかしてたかもしれないね。
 
午後は荻窪の友達夫婦の家へ。まだ新婚と言える段階の2人は比較的私と趣味が近くインテリアに無印の鳩時計が増えていた。物を買う前に私に結婚のお祝いをさせてくれと再三言ってきたが、やっとオーダー式のお祝い品が決まりました。すっかり日本のお米の権威となった先輩・橋本さんに世界一美味い米を見繕ってもらおう。
 
天気が気になって夕食前にお暇したのに豪雨予測が外れて拍子抜け。
帰宅後、懇意にしている飲み屋の配信にクイズを考えて提出するという有意義なタスクにハッスルしすぎて、夕食のタイミングを逃す。あるアーチストについて、我ながら骨のある問題を出したところやはりリアルタイム世代の常連の方が優勝。そのアーチストのmixiコミュニティ(あるのか?あるよね?)の面々に出しても恥ずかしくない超マニアックな内容です。えへん。
てっぺん回ってから、荻窪のカルディで買った仙草ゼリーで空腹を濁す。
 
荻窪は本当に何でもある街で、物心ついた時から母と買い物に行くのは阿佐ヶ谷ではなく基本荻窪だった。消費生活のなかで、メインサブ両カルチャーを成長期に享受できたことは謎にバランスをとりたがる私の人格形成にも多大なる影響を与えた。大学を出る時は近所にこんなになんでもあることが嫌だと思い、違う文化を知りたいと関西の会社ばっかり受けて就職と共に移住も果たしたのだけど。関西で結婚し、海外へ移住し、色々あって協議離婚の条件設定のために相手方に来てもらった公証役場荻窪だった。人は生まれつき与えられた日常に慣れるとそのありがたみを忘れがち。
 
お隣の高円寺阿佐ヶ谷西荻窪の駅は昨日7/15で開業100周年。連休にはイベントがあるらしい。この3駅、土日祝は快速が止まらないのに。
 
 
7月17日
 10時に新しいほうのスタバで母と待ち合わせ。一つの街に二つもスタバがあるとは、近年の阿佐ヶ谷の勢いを感じる。
この店は座席にゆとりがあり、感染者が15000人をゆうに超えた状況で4回目接種直前の母を迎えるにはここがベストだという判断。
 
彼女と会って話をする時は、別の目的がありボイスレコードを残すようにしている。今日のを聞き返すとTHE・とりとめのない話しかしてないけども、話を繰り返すとか会話ができないほど耳が遠いとかはまだなく、78歳で政治社会文化の話が自分と対等にできるこの状況はありがたい。
 
話しすぎてお昼になってしまったので、ランチも外でとることに。スターロード、よるのひるね昼営業のバインミーへ。
この商店街は生前父親が飲み倒していた場所で、なかでも常連だったお店が先日阿佐ヶ谷姉妹の深夜番組に出てたことを母に話す。外で飲まない母にとっては毎日通ってる道でも全然知らない世界の話だろうし、私もたまにしか付き合えなかったので全貌は知らないが、飲み友達にもお葬式に来て欲しかったんじゃないかなと思う。焦燥のあまり自分に余裕がなく、あずさやRoji.サクラハウスの皆さんにあの時声をかけられなかったことを後悔し残念に思っています。
 
店に入り注文が終わると、母は本を貪り読み出した。手に取ったのは小川未明選集。私も視界に飛び込んできた「森田芳光監督全作品」に耐えきれずしばし没入。さっきあんなに喋ってたのに。もう20分ほど経っただろうか。母は裏表紙にある小川未明のプロフィールを見せて彼は父と同郷なんだと解説しはじめた。上越に文学館もあるらしいし、坪内逍遥に未明と名づけられてるし、広義のパイセンであった。児童文学に明るくない私は興味深く聞く。さっきまでのくだりもあり、父がそこにいるような気がした。なんとなく。
次に母は別の絵本に挟まっていた愛読者カードの住所に触れ、10歳まで住んでいた住所とニアピン賞だという主張をしてきた。
母から聞いてきた神田の思い出は、救世軍バザーやすずらん通り、新世界飯店といった神保町寄りのことがらで、一度だけ連れて行ってもらった(彼女の生家が出前を取ってた)蕎麦屋もその辺りだった。勝手にこちらで想像していた場所と住所が微妙に違うことはGoogle Mapが正確な無機質で知らせてくれた。少し離れた古書店街が栄え、人を集めていたことは容易に想像できた。私にとっての荻窪みたいに。
 
そろそろお会計。ずっと買えてなかった杉作さんの詩集を手に取ると「サイン本なくなっちゃってごめんねー」とお姉さん。
コロナ前は毎年、墓場プロの花見があったのでなんとなく会いに行けば会える人という位置付けで著作は全てイラスト付きサインを頂いてきたのだけど、そうそう気軽には頂けないと思うと価値がます。
 
母は初めて飲んだベトナムコーヒーをいたく気に入ったようだった。買い物帰りに一人でまた寄るな、この人は。
 
母と別れ自転車置き場に戻るBeans前で、ずいぶん昔にインタビューした三浦展さんが阿佐ヶ谷駅の歴史について講演をしていた。
展示パネルも充実の出来で、駅ナカにでも常設すべきだと思う。
 
 
夜は時間があったので、神田に向かいナガサワさん(Seilin Shoes店長就任おめでとうございます‼︎)のフードを頂きに。
金宮のチャイ割りカクテルと共にガッツリとツナビアンコ&プリン。ここんとこずっと告知を指を咥えて眺めていたのですが、やっと食べに来れました。
手と花で立ち回る女性がとても感じ良く、下北のマザーズルーインの雰囲気を思い出す。経堂ウルトラの女性陣にもある、しばらく感じてなかったこのバイヴス、嫌いじゃないです。
 
せっかくこの辺りに来たので、さっき母に聞いた住所に足を向けてみる。
ほぼ九段下。坂登ったら靖国神社
昔のものは何も残ってないんじゃないかというくらい、マンションとベルサール(都内にいくつもある貸し展示会場)しかなくて真っ暗なこの辺りの日曜日。
静かで住みやすそうだけど地代とても高そうね。
 
湿気が苦しいのは沢山歩いたからか?
新宿三丁目まで都営線で戻って、自転車に乗り換えて風を感じて帰る。
「こわいものみたさ(ト社の春日野と時津風)」を口ずさみながら
夏はとにかくアスファルトの上を歩くのがしんどくて、ごく近所でも電動自転車に乗ってしまう。


 
 
7月18日

多めに寝て6時半に散歩へ。いつもの公園は貯水池公園のため、昨晩の雨量により閉鎖になっていた。こんなことは初めて。
ちょっとルートを変えて、確定拠出の移換書類を出して、いつものスペースで昨日買った詩集を読む。とても良くて一気に読みおわる。
つくづく詩というフォーマットで文字を読むのが好きだなと思う。いつになったら書く側のような芸当ができるのだろうか。待たせている方すみません。
 
部屋に帰ったら汗だくでグッタリ。ダウンする前にきょうこれからワクチン接種の母に電話。私の5倍は元気でした。
 
この3連休は日記的なものでまとめてみようという決心が前々からあり、3日目のこの後の時間を全部それに費やしたかったが、雨の日々で溜まった洗濯をしトマトサラダと中華三昧冷麺の具を準備し麺を湯掻き、惚れ惚れしながら食べ、ソファの体制を横に変えるとあっという間に力尽きて落ちてしまった。

オンライン英会話の16:30ギリギリまで起きないなんて、誰が想像できただろうか。
実際に書き始めたのは皿も洗い終わった夕飯後。「生活」といううすのろを乗り越えることはむつかしい。
 
 ___
転職前は文章を書くこと自体がもはや億劫で嫌いな部類のワークになりかけていたので、
まだこんなに楽しく書けることがわかったのは収穫だ。
 
伸び伸びしすぎて、ひどく分量バランスがおかしい日記になってしまった。
日記といえども自分で立てた締め切りは守りたい。
 
現在、明けて19日のAM3時です。おやすみなさい。
 

2019ベスト温泉

2019 Oh My Best Onsen Ever

いつにも増して行動範囲が広がった1年で、今まで行けなかった場所にも足を伸ばしました。別府にも2回行ったし、大分〜熊本の間にオープンした竹田温泉クア施設にも。大分市内、飲み屋街ど真ん中にある府内温泉のポテンシャルの高さにおんせん県大分の懐を知ったな。初冬には青森の酸ヶ湯温泉(ヒバ千人風呂)にもやっと行けました。大好きな有馬温泉には行きつけの半混浴日帰り湯宿を作ったり。ゴールデンウィークに自転車旅行で行った渋温泉街も良かった。


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そんな温泉ライフの中でも強くお肌の印象に残った温泉をご紹介。

 

 

【泉質部門】

花山温泉 薬師の湯(和歌山)9月

残暑も陽射しも厳しいおり、新快速+くろしおでGO  和歌山は車で海水浴に行った以来、15年ぶりだったと思う。今回は電車。くろしおの安全のしおりが対津波であることに気が引き締まりつつ、地震と火山と温泉は全て地球の営みであり切っても切れない関係であることを改めて思う。駅からタクシーで5分ほど、何処か懐かしい佇まいの宿も併設した温泉施設に到着。地元の農産物をはじめとしたお土産もあり、温泉までの廊下に強く噴き出す炭酸泉のデモに迎えられ、10分ほど凝視したりムービーを撮ったりした。浴槽にはびっしりと湯の花の堆積物が付いていて、なんともSFチックであった。効く温泉と問われたら、まずここを勧めたいし来年は宿泊もしたいな。

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結晶にまとわれた浴槽はもはや輪郭が見えない

 

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ゴリゴリの炭酸泉でもあり、イオウ
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パンダ、逃げ遅れちゃいそう


 

【温泉旅館部門】

加賀温泉・瑠璃光(石川)7月

加賀温泉フェスの宿泊場所として瑠璃光を取ってもらったのですが到着してみると恐れ多いくらい良い部屋で今後これ以上の所に泊まれるのか?!くらいに思ってしまいました。森の中の大浴場も素晴らしく、人がこないうちに一番風呂をいただき最高でしたね。節目にまたゆっくり一人で来たい気もするけど、あっという間に来年のフェスになってそう。

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窓の向こうに広い浴槽と露天風呂 誰もいないのでパシャり
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ちょうどいい安らぎと上品
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天国への階段を思った





 

【銭湯部門】

加茂温泉 9月 

仁左衛門の湯の回数券があるので、ほとんど銭湯には行かなくなってしまったのですが、残暑の厳しさの中、クラッシュアイスがオートマチックに繰り出される水風呂があるいう噂を聞きつけ訪問。堀川北山の交差点を東に進み、新町通を南へ、一筋目を東に。オープンと同時に行ったので私と常連と思しき2名でサウナ、水風呂、薬湯をそれぞれが独り占めできるローテーションで回せたのも良かった。わかっている人がいる現場は良いですね。スチームサウナはプラス料金もなく、氷はトゥーマッチなくらい豊富でした。

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烈夏で氷をもとめた



 

 

【スパ銭部門】

なごみの湯(荻窪)12月

実家に一番近いスパ銭でありながら近年の都内スパ銭大充実時代の余波を受け、施設も古くて微妙な位置付けのこの「なごみの湯」からは足が遠のいていた。しかし露天風呂が(運搬された)天然温泉になったという情報を受け久しぶりに行くと、露天はさておき女性風呂に超高濃度炭酸泉が誕生していて!炭酸濃度1300ppmというバッキバキの炭酸ビームに満たされた素晴らしい時間が過せました。住宅地の近くにこの炭酸濃度はヤバい、近所に住みたい、実家帰るか?? そう思う程にこの炭酸泉は日常使いとして相当レベルが高い。温泉成分による効果を除き炭酸のパワーだけで考えると、灘温泉や竹田温泉、さやの湯、テルマー湯、スパワールドのいずれも上回ると思います。日本の炭酸泉行ってる女ベスト50には入る私にとってまさに灯台下暗しの2日前の出来事でした。進化とキャッチアップは大切と改めて思った2019の暮れ。男湯にも炭酸泉あったら良いのにね。

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同じものが浴場にも掲出してあり、熟読するほどにプラシーボ効果

 

※灘温泉、仁左衛門の湯、おとめ塚、スパワールド、さやの湯、有馬温泉・御所房(日帰り/宿泊)は所謂殿堂入り、レギュラーローテーション入りしております

 

2020年はドイツの炭酸泉に行きたいと思います。

0:00を過ぎる前に

仕事でがっつり文章を書くようになって3ヶ月、たまには散文も書きたいもので半身浴のお供につらつらと。

 

広報たるものセルフブランディングをするべしという部門理念のもと全員がプロカメラマンによるプロフィール写真を撮ることになりまして今日が私の撮影日。他にも使っていいらしいので、美容院でくせ毛を伸ばしたりそれなりに準備をしつつ臨んだものの。

 

カッチリめのとカジュアルなのと、もう一つフリースタイルシーンがあるという。聞いてねえぞ。アドリブテストである。

社会人人生、仕事柄数限りなくタレントさんやモデル、ミュージシャンといった有機物からベットやソファなどの無機物まで、撮影立会いやインタビュー、はたまたわたしが臨時のカメラマンをすることなどもあったけど撮られるのは早稲田のミスコン(19)と日経ウーマン(28)っていう数える程で、もう、見た目も変わってるし笑顔の作り方すらも忘れてた。自撮りと他撮りは別物ですね…

途中からMacのモニターみるのつらかった…

 

癖でカメラマンさんにインタビューしながらフリースタイル撮影は進んだんだけど、何やら磔磔でよく撮影されているらしく音楽の話になる。自分が一番最近磔磔で観たのが中村佳穂さんなので、彼女の話をひとしきりヲタク語りしてしまい、全然インタビューじゃなくなっちゃったしカメラマンさんばかりみてしまい、かっこいい視線外しもできなかった。

 

しかし当て振りでも20年もピアノを習っていたらそれなりにみえてたようで、結局フリー写真は中村さんの良さを伝えながらモノマネをしているシーンが採用された。

 

リドで打ち上げて帰宅。見上げると京都タワーがトゥーマッチな光。

桂坂に登り、ドライブついでにまだかよわい頃の京都タワーの灯りが0時に消えるのを待っていた日々。

ついこないだのような気がしてたけど、脳裏に残るMacモニターに映る私がそんなことはないぞと笑う。

そこはかとない情熱の果て

(ネタバレ注意)

 

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いま撮る写真は風景ばかりだけど、相変わらず写真は好きでテレビに飛ばして自画自賛したりしている

 

 

 

『愛がなんだ』という映画を観た。余計なテーマを混ぜることなく、落ち着いた視点で丁寧に恋愛を扱っていて好感をもったし、主人公の「わたしは社会を回すために生きてるんじゃない」って言葉だけは共感した。

凸凹を補いあうように主人公2人がうまく行けばよいのに、(作品を貫く、どこか客観的な視点によって)現実は難しいことが露わになっていた。

メインの四者の主観「目線」で描きながら、ストーリーのなかで客観としてみせるテクニックとバランス感覚が素晴らしい、邦画は繊細でいいな‥

 

なんて思い感想をみにいってみると、いずれかの人物、特に人面犬2匹に激しく感情移入されてる方が多いようで姉さん戸惑ってます!

この作品はある程度経てる人か恋愛と距離置いてる期間じゃないとバランスと距離感取って観ることはできないのかもしれないね。

 

健気ないぬのきもちは私だって少しは分かる。若かりし頃の懐かしいふるまい。

----あの頃、毎週末の生活とともにフイルム三本くらいの写真を撮り現像してを繰り返していたあのパワー、ああいった類の愛情の向け方。好きこそものの上手なれで、気まぐれで出した写真雑誌で賞をもらったりしたけれど、手元に一枚も残っていない。でもあの時はただただ大切な時を沢山撮りたかった。

 

今や撮影自体がこんなにカジュアルになったのに、恋愛生活のまぶしい一瞬を相手を被写体にシャッターで切り取るなんてもうすっかりしなくなった。


人にビールを頼まれて買った事もカートン買い置いて待った記憶もないけれど

スミレさんよろしく「人とも場所とも関係性が煮詰まるのが苦手」になってずいぶんたつ私にも、犬彼女みたいなことがないわけではなかったのだ。

 

四者の姿はどれも、巡り合わせの中で一人の人間に表出し得る様相だと思う。

 


あの頃私に「お前は健気やな…」って泣いた偏屈な人はどこでなにをしているのやら。

正直今日まで思い出すことすらなかったけれど。