marhythm

Rhythm, Philosophy, Joy of seasons

3連休の日記

7月16日
連休の初っ端から仕事の話で何だが、早くも転職して1ヶ月となった。
外から見たら定年までいなくてどうするの?的な企業だったのかもしれないが、所詮それは他人の物差しである。私はこの8年なんとかここでできるやりたい企画を通し、比較的ましな部署に手を上げ、なんとか自分を騙しやり過ごしてきた日々だった。あと十数年もここで働くことが想像しがたく、入社5年も経つと卒業のチャンスを伺うようになり、コロナ禍でそれは限界に達していた。
渡り渡る度のキャリアアップと言えば聞こえはいいが、ここまで上がってしまった年齢と年収・ポジションに見合った次の落とし所をこのタイミングで見つけることは容易ではなく、心が折れ自分に折り合いをつけてそのまま会社に居続ける選択をする人のことも理解できた。
これまでの転職感覚が通用しない時代に、自分の奇特なキャリア特性を生かすにはアンコンシャスバイアスの塊のような転職業界を挟んでの活動ではむずいと感じ始めていた頃、素敵な友が縁を運んでくれて新しい旅への扉が開いた。
所謂リファラル採用というやつで、プロフェッショナルスキル重視の異業種転職。
過去わたしが一緒に働いた部下と上司からの推薦状の提出(かなり面倒でしたよね。ありがとうございました!)と3度のリモート面接を経て、媒介してくれた友人の、元先輩のチームに配属された。ザ広報という選択もあったのだけど、一生働くことを考えると社会課題(を少しでも)解決する(可能性のある)CSR寄りの仕事にシフトしたかったのでした。
 
余談だが広報PRでDとも同じくらい仕事してきたが、強いリレーションシップを築けるのは偶然なのか何なのかH勢ばかりである。今回縁をくれた友人もHに所属している。
Hの皆さん大好きです。
 
銀杏が落ちる秋の神楽坂、ロイヤルホストで渋皮栗のパフェを食べながら閉塞感の塊のような私から噴き出す、ほぼノイローゼのような愚痴を受け止めた上に縁を届けてくれた10歳下(たぶん?私は年齢に鈍感…)の友には感謝しかない。
(彼女とは3年前に深圳旅行で時をともにしたが、当時ホットだった深圳を知りたい閉塞感を打破したい、という私の内なる旅の目的を感じてくれてたのかも。この日記の下の方、9/7,8 あたり)

 

marhythm.hateblo.jp

 



そんなわけでこの1ヶ月は過去経験したどの会社よりもクレバーな皆さんに囲まれ必死のパッチでキャッチアップする日々でした。並行して卒業証明書やら資格の証憑をはじめとした公的書類の収集と提出、投資資産の整理とたまに物件探し、銀行面談、と嵐のように過ぎたひと月だった。
 
入社して程なく、会社の代表や役員の話を聞く機会があった。
代表「入社して36年たつが、今でも毎日、接する社員の優秀さに驚く」役員「このファームには、プロフェッショナルだからこそ持つ優しさがある。だが、厳しさもある。プロはプロしか助けないからだ」
痺れる〜 
僭越ながら早くも仕事をしながら痺れる瞬間がままあり、それは社内システムの徹底した効率化とか、(さっさと返すべき要件の)メール返信の速さとかまだ表面的な部分ではあるが、明らかにこれまでの組織とは違う雰囲気を感じている。8年の踊り場生活で残していた伸び代がうずうずしている。
英語のスキルアップに加え、来週からは大学院サマースクールも始まる。
 
話はこの話を持ってきてくれた友人の話に戻るが、彼女と知り合ったのは今はもう無いクラブでもう10年以上前のこと。返す返す、ああいった交流の場は尊い

「上手い人と一緒に演ると自分も上手くなったような感覚になって一段上のレベルに行ける」という言葉をある人から聞いたのもそのクラブでのことだった。
貴方が知っているその感覚、私も早く仕事で感じたい。
 
 
いかんこれは日記だった。連休初日の話を。
このWeekdayはプロフィール写真を撮るための都心への初出社もあり、湿気と暑さによる疲れで身体は炭酸泉を求めていた。せっかくなので普段行かないエリアを攻める。起き抜けそのまま山手線に乗り鶯谷。マスク社会の唯一のメリットははマスク一発、顔に関する支度が秒で済んですぐ歩き出せることだね。
 
ここの炭酸泉は少し前に有名になった塩谷さんによる銭湯イラストパネルが並んでいるんだけど、ほとんど行ったことがあって驚いた。彼女と銭湯の趣味が近いのだろうか? その中で唯一未踏の「ふくの湯」は夏のうちに行きたい。あの辺でいい物件が見つかりその内見のついでに行けたら最高。などと炭酸泡を纏いながらたのしい妄想タイム。
ふと我にかえると朝風呂タイムのリミット9時の5分前で、追い立てられるように銭湯を出た。7月から銭湯料金は500円。銭湯は贅沢な趣味になってしまったと平日朝のラジオで言ってました。
 
関係ないけど、「趣味が近い人」って近いようで遠いよね。親しい友人は決して「趣味が近い人」ばかりではないし。mixiのコミュニティで生まれるような趣味友達ってことか?
もっと関係ないけど、mixiで書いてた文章もう一回読んでみたいと最近思う。ログインできないので。ログインできる人私の文章読ませてください!アカウント名は「ジャスミンガール」大学講師をやりながら駐妻してたズッコケ上海ライフが詰まってて、オーガニックにフォロワーがいて会った事ない人とも沢山やりとりしていた。まだインターネットが平和だったし、自分自身文章を書くこと自体は仕事にしてなく、伸び伸び無邪気に楽しんでいた頃。あの日本人赴任者専用高級マンションから家出して帰国してなかったら、そのまま上海にい続けてたまに日本に帰ってフリーライターになって、出版とかしてたかもしれないね。
 
午後は荻窪の友達夫婦の家へ。まだ新婚と言える段階の2人は比較的私と趣味が近くインテリアに無印の鳩時計が増えていた。物を買う前に私に結婚のお祝いをさせてくれと再三言ってきたが、やっとオーダー式のお祝い品が決まりました。すっかり日本のお米の権威となった先輩・橋本さんに世界一美味い米を見繕ってもらおう。
 
天気が気になって夕食前にお暇したのに豪雨予測が外れて拍子抜け。
帰宅後、懇意にしている飲み屋の配信にクイズを考えて提出するという有意義なタスクにハッスルしすぎて、夕食のタイミングを逃す。あるアーチストについて、我ながら骨のある問題を出したところやはりリアルタイム世代の常連の方が優勝。そのアーチストのmixiコミュニティ(あるのか?あるよね?)の面々に出しても恥ずかしくない超マニアックな内容です。えへん。
てっぺん回ってから、荻窪のカルディで買った仙草ゼリーで空腹を濁す。
 
荻窪は本当に何でもある街で、物心ついた時から母と買い物に行くのは阿佐ヶ谷ではなく基本荻窪だった。消費生活のなかで、メインサブ両カルチャーを成長期に享受できたことは謎にバランスをとりたがる私の人格形成にも多大なる影響を与えた。大学を出る時は近所にこんなになんでもあることが嫌だと思い、違う文化を知りたいと関西の会社ばっかり受けて就職と共に移住も果たしたのだけど。関西で結婚し、海外へ移住し、色々あって協議離婚の条件設定のために相手方に来てもらった公証役場荻窪だった。人は生まれつき与えられた日常に慣れるとそのありがたみを忘れがち。
 
お隣の高円寺阿佐ヶ谷西荻窪の駅は昨日7/15で開業100周年。連休にはイベントがあるらしい。この3駅、土日祝は快速が止まらないのに。
 
 
7月17日
 10時に新しいほうのスタバで母と待ち合わせ。一つの街に二つもスタバがあるとは、近年の阿佐ヶ谷の勢いを感じる。
この店は座席にゆとりがあり、感染者が15000人をゆうに超えた状況で4回目接種直前の母を迎えるにはここがベストだという判断。
 
彼女と会って話をする時は、別の目的がありボイスレコードを残すようにしている。今日のを聞き返すとTHE・とりとめのない話しかしてないけども、話を繰り返すとか会話ができないほど耳が遠いとかはまだなく、78歳で政治社会文化の話が自分と対等にできるこの状況はありがたい。
 
話しすぎてお昼になってしまったので、ランチも外でとることに。スターロード、よるのひるね昼営業のバインミーへ。
この商店街は生前父親が飲み倒していた場所で、なかでも常連だったお店が先日阿佐ヶ谷姉妹の深夜番組に出てたことを母に話す。外で飲まない母にとっては毎日通ってる道でも全然知らない世界の話だろうし、私もたまにしか付き合えなかったので全貌は知らないが、飲み友達にもお葬式に来て欲しかったんじゃないかなと思う。焦燥のあまり自分に余裕がなく、あずさやRoji.サクラハウスの皆さんにあの時声をかけられなかったことを後悔し残念に思っています。
 
店に入り注文が終わると、母は本を貪り読み出した。手に取ったのは小川未明選集。私も視界に飛び込んできた「森田芳光監督全作品」に耐えきれずしばし没入。さっきあんなに喋ってたのに。もう20分ほど経っただろうか。母は裏表紙にある小川未明のプロフィールを見せて彼は父と同郷なんだと解説しはじめた。上越に文学館もあるらしいし、坪内逍遥に未明と名づけられてるし、広義のパイセンであった。児童文学に明るくない私は興味深く聞く。さっきまでのくだりもあり、父がそこにいるような気がした。なんとなく。
次に母は別の絵本に挟まっていた愛読者カードの住所に触れ、10歳まで住んでいた住所とニアピン賞だという主張をしてきた。
母から聞いてきた神田の思い出は、救世軍バザーやすずらん通り、新世界飯店といった神保町寄りのことがらで、一度だけ連れて行ってもらった(彼女の生家が出前を取ってた)蕎麦屋もその辺りだった。勝手にこちらで想像していた場所と住所が微妙に違うことはGoogle Mapが正確な無機質で知らせてくれた。少し離れた古書店街が栄え、人を集めていたことは容易に想像できた。私にとっての荻窪みたいに。
 
そろそろお会計。ずっと買えてなかった杉作さんの詩集を手に取ると「サイン本なくなっちゃってごめんねー」とお姉さん。
コロナ前は毎年、墓場プロの花見があったのでなんとなく会いに行けば会える人という位置付けで著作は全てイラスト付きサインを頂いてきたのだけど、そうそう気軽には頂けないと思うと価値がます。
 
母は初めて飲んだベトナムコーヒーをいたく気に入ったようだった。買い物帰りに一人でまた寄るな、この人は。
 
母と別れ自転車置き場に戻るBeans前で、ずいぶん昔にインタビューした三浦展さんが阿佐ヶ谷駅の歴史について講演をしていた。
展示パネルも充実の出来で、駅ナカにでも常設すべきだと思う。
 
 
夜は時間があったので、神田に向かいナガサワさん(Seilin Shoes店長就任おめでとうございます‼︎)のフードを頂きに。
金宮のチャイ割りカクテルと共にガッツリとツナビアンコ&プリン。ここんとこずっと告知を指を咥えて眺めていたのですが、やっと食べに来れました。
手と花で立ち回る女性がとても感じ良く、下北のマザーズルーインの雰囲気を思い出す。経堂ウルトラの女性陣にもある、しばらく感じてなかったこのバイヴス、嫌いじゃないです。
 
せっかくこの辺りに来たので、さっき母に聞いた住所に足を向けてみる。
ほぼ九段下。坂登ったら靖国神社
昔のものは何も残ってないんじゃないかというくらい、マンションとベルサール(都内にいくつもある貸し展示会場)しかなくて真っ暗なこの辺りの日曜日。
静かで住みやすそうだけど地代とても高そうね。
 
湿気が苦しいのは沢山歩いたからか?
新宿三丁目まで都営線で戻って、自転車に乗り換えて風を感じて帰る。
「こわいものみたさ(ト社の春日野と時津風)」を口ずさみながら
夏はとにかくアスファルトの上を歩くのがしんどくて、ごく近所でも電動自転車に乗ってしまう。


 
 
7月18日

多めに寝て6時半に散歩へ。いつもの公園は貯水池公園のため、昨晩の雨量により閉鎖になっていた。こんなことは初めて。
ちょっとルートを変えて、確定拠出の移換書類を出して、いつものスペースで昨日買った詩集を読む。とても良くて一気に読みおわる。
つくづく詩というフォーマットで文字を読むのが好きだなと思う。いつになったら書く側のような芸当ができるのだろうか。待たせている方すみません。
 
部屋に帰ったら汗だくでグッタリ。ダウンする前にきょうこれからワクチン接種の母に電話。私の5倍は元気でした。
 
この3連休は日記的なものでまとめてみようという決心が前々からあり、3日目のこの後の時間を全部それに費やしたかったが、雨の日々で溜まった洗濯をしトマトサラダと中華三昧冷麺の具を準備し麺を湯掻き、惚れ惚れしながら食べ、ソファの体制を横に変えるとあっという間に力尽きて落ちてしまった。

オンライン英会話の16:30ギリギリまで起きないなんて、誰が想像できただろうか。
実際に書き始めたのは皿も洗い終わった夕飯後。「生活」といううすのろを乗り越えることはむつかしい。
 
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転職前は文章を書くこと自体がもはや億劫で嫌いな部類のワークになりかけていたので、
まだこんなに楽しく書けることがわかったのは収穫だ。
 
伸び伸びしすぎて、ひどく分量バランスがおかしい日記になってしまった。
日記といえども自分で立てた締め切りは守りたい。
 
現在、明けて19日のAM3時です。おやすみなさい。