marhythm

Rhythm, Philosophy, Joy of seasons

きのう観た映画にちなんで

(ネタバレあり)

劇中の台詞でフェリーニの『道』が多用されていた。
 
忘れられない道がある。
 
ことしの梅雨前、一瞬のすがすがしさの中、出先で気まぐれなトレッキングをした。その帰りに出会った道。
 
桜の咲いていない時期のソメイヨシノ並木。夏の近づきを感じる強めの陽射しに照らされた黒くて複雑な味のある形の太い幹と、その風情にそぐわないくらい若々しくりりしい緑が印象的だった。急な坂道を下ると海と船が見えてくる。振り返る傾斜には緑の山が迫りくる。
 
なんとなくではあるが、桜の時期にまた来たい道だと思った。『道 』の最後のシーンも港町だったっけ。
 
主人公の父親が亡くなったのは桜がはらはらと散る季節。きっと毎年、彼女は桜を見るたびに悲しみと寄り添うのだろう。喪失の悲しみというのものは決して消えるものではなく、時間とともに上手につきあっていくものだと私も自分の人生で理解しているつもりだ。
 
茶室のシーンは季節とともにうつろい、ゆっくりとした時間が流れる。乱世のなか、季節や一日の味を大切に生きていた千利休井伊直弼などの茶人を思いながら「一期一会」の言葉の重みを噛みしめる。
 
大人になり一人暮らしを始めた娘、それを寂しがる父親。何しか理由をつけて娘に会いたい父親は「近くに来たから」と言って電話をかけるが予定のある娘は来訪を断る。
 
その晩、部屋で少し後悔していた娘に 父親が急逝したとの電話が入る。 
 
めったに自分を責めることのない私ですら、父の死に目に会えなかったことだけは後悔している。主人公の胸の痛みは想像に難くない。
 
 
 
早いもので暦は11月、父の亡くなった年の瀬も近くなってしまった。
 
 
年が明ければ私はあの桜並木の近くに住む。
 

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