そこはかとない情熱の果て
(ネタバレ注意)
いま撮る写真は風景ばかりだけど、相変わらず写真は好きでテレビに飛ばして自画自賛したりしている
『愛がなんだ』という映画を観た。余計なテーマを混ぜることなく、落ち着いた視点で丁寧に恋愛を扱っていて好感をもったし、主人公の「わたしは社会を回すために生きてるんじゃない」って言葉だけは共感した。
凸凹を補いあうように主人公2人がうまく行けばよいのに、(作品を貫く、どこか客観的な視点によって)現実は難しいことが露わになっていた。
メインの四者の主観「目線」で描きながら、ストーリーのなかで客観としてみせるテクニックとバランス感覚が素晴らしい、邦画は繊細でいいな‥
なんて思い感想をみにいってみると、いずれかの人物、特に人面犬2匹に激しく感情移入されてる方が多いようで姉さん戸惑ってます!
この作品はある程度経てる人か恋愛と距離置いてる期間じゃないとバランスと距離感取って観ることはできないのかもしれないね。
健気ないぬのきもちは私だって少しは分かる。若かりし頃の懐かしいふるまい。
----あの頃、毎週末の生活とともにフイルム三本くらいの写真を撮り現像してを繰り返していたあのパワー、ああいった類の愛情の向け方。好きこそものの上手なれで、気まぐれで出した写真雑誌で賞をもらったりしたけれど、手元に一枚も残っていない。でもあの時はただただ大切な時を沢山撮りたかった。
今や撮影自体がこんなにカジュアルになったのに、恋愛生活のまぶしい一瞬を相手を被写体にシャッターで切り取るなんてもうすっかりしなくなった。
人にビールを頼まれて買った事もカートン買い置いて待った記憶もないけれど
スミレさんよろしく「人とも場所とも関係性が煮詰まるのが苦手」になってずいぶんたつ私にも、犬彼女みたいなことがないわけではなかったのだ。
四者の姿はどれも、巡り合わせの中で一人の人間に表出し得る様相だと思う。
あの頃私に「お前は健気やな…」って泣いた偏屈な人はどこでなにをしているのやら。
正直今日まで思い出すことすらなかったけれど。